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でぃふぁれんと・すてっぷす 別館

いいブログタイトルを考える余裕も無い状態です。絶賛放置ちゅう。

部外者であるということ

http://www.inisi.myswan.ne.jp/club/literary/index.html

はてなブックマーク - 潮の匂いは。|文芸部|宮城県石巻西高等学校

 

自分がこれから書こうとしている文章は、上記の詩に触発されたポエムに過ぎない、という事をあらかじめ自分と読者に宣言しておこうと思う。

 

東日本大震災はTVで見ていた。自分の住んでいたところも揺れたが、震度3とかそういうレベルであり実害はなかった。親戚や知り合いが被災したり亡くなった、という事もまったくない。

要するに、僕は部外者なのだ。被災した人の事をどれだけ想像したところで、それは「想像」でしかない。

僕は被災者にはなれない。当事者にはなれない。あれから3年以上経ち、震災の事を全く意識せず過ごす時間のほうがはるかに長い。

では、震災で、津波で自分の街を破壊された人、大切な人を亡くした人が震災を意識せずに生きることは可能だろうか?できないのではないか、と僕は「想像」する。

かつての自分の街を、大切な人の顔を思い出すたび、それが震災によって失われたことも思い出さないわけにはいかないだろう。それは時間の経過によって薄れることはあっても、消えることはないだろう。一生。

そういう現実を背負ってしまった人に対して、部外者である僕にはかける言葉が見つからない。何をどう言ったところで、僕はその人の現実を肩代わりすることも共有することも出来ない。

出来ない以上、何を言っても相手の心には響かない。そんな気がしてならない。

相手を励ましているのではなく、自己満足のためだけに言葉を発しているのではないか。そんな疑念が僕にはある。

当事者の苦しみを一生背負う覚悟を持つことができれば、そういう疑念も薄れるかもしれない。が、見も知らぬ他人の苦しみを一生背負う事の出来る人が、この世に何人居るのか?少なくとも僕には無理だ。

思いやりの心、助け合いの精神を捨て去れる程、僕は合理的な人間ではない。でも、自分は部外者であり、当事者の代理人にはなれない(なる覚悟もない)という事を忘れるととんでもない間違いを犯しかねない。そんな思いは持ち続けている。